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街と旧跡めぐり

源義朝公の墓

平治の乱に敗れた源義朝公は忠臣、鎌田政清公とともに関東で再起を図るために落ち延びる途中、尾張にて家人の裏切りに遭い無念の最期を遂げたと言います。その後武家政治の道を切り開いた源頼朝公が、父・源義朝公の菩提を弔うために雪ノ下に「勝長寿院」を建立します。

アメリカヤ

創業80年を超える鎌倉でも有名な玩具店で、大正15年にアメリカから帰国した主人が鎌倉で開店したお店だそう。昭和の歴史を感じさせてくれる木造の店構えを見れば、古き好き時代の懐かしい雰囲気を感じる事ができます。地元で育った大人たちに懐かしい思い出がたくさん詰まったお店なのです。

旧華頂宮邸

報国寺からさらに5分ほど歩いた場所に位置する旧華頂宮邸。1929年に華頂博信侯爵邸として建てられた洋館であり、「日本の歴史公園100選」にも選ばれた歴史的価値の高い洋風建築、庭園の1つです。庭園は通年で公開されていますが、建物内は通常、春と秋にのみ一般公開されています。

稲村ヶ崎温泉

目の前が海という絶好のロケーションに位置する稲村ヶ崎温泉。清潔感のある建物内には内湯や露天風呂、サウナが揃います。大人がゆっくりと楽しむために18歳未満は入場不可となっています。泉質は純重曹泉で、神経痛や冷え性、切り傷、やけど、慢性皮膚病等に効果があると言われています。

人力車での鎌倉観光名所巡り

鎌倉を歩いていると人力車を見かける機会が多くあります。真っ黒に日焼けした俥夫の方が、鎌倉の歴史を解説してくれながら有名観光地や、地元の人しか知らないようなマニアックな場所を旅する事ができます。お値段は少し高いものの、旅気分を盛り上げてくれるサービスとして人気を集めています。

江ノ電の撮影スポット

鎌倉を訪れる旅人に人気の「江ノ電」。何とも言えない風情を残した路面電車は、今も鎌倉市民の生活の足として活躍しています。休日や連休シーズンの日中は混雑するのですが、平日のお昼に海を見ながら江ノ電に揺られていると何とも言えないノスタルジーを感じ、とっても幸せな気分になれますよ。

毎朝旬の鎌倉野菜が揃う人気スポット、鎌倉市農協連即売所(通称:レンバイ)

近年、鎌倉野菜が注目を集めていますが、鎌倉市農協連即売所(通称:レンバイ)では毎日獲れたての新鮮な鎌倉野菜を手頃な価格で買えます。トマト、小松菜、ほうれん草等、季節ごとに獲れたての旬野菜が揃う市場で、一流レストランののシェフまで多くの人々が訪れるスポットとなっています。

東勝寺橋(とうしょうじばし)

鎌倉幕府滅亡の地として知られる東勝寺へ続くこの橋は、閑静な住宅街の中に佇み、森の間から差し込む日の光と、流れる川の水が何とも美しい光景を見せてくれます。アーチ型構造をしたこの東勝寺橋は、1924年に建造され「鎌倉の景観百選」にも選ばれています。

鶴岡八幡宮の神前結婚式

かつて静御前が舞を納めたと言われる舞殿。この由緒ある場所は現代ではカップルの新しい門出を祝う場所として人気を集めます。結婚式では神職の祝詞が奏上され、巫女による神楽舞の奉仕、三三九度とも呼ばれる誓盃の儀が執り行なわれ、厳粛な雰囲気の中で一生の思い出となる体験ができます。

鎌倉文学館(かまくらぶんがくかん)

加賀前田家を受け継ぐ前田利嗣氏の別荘であった建物が、現在は文学館として広く一般に公開されています。鎌倉文学館では鎌倉ゆかりの文学者の著書や原稿、愛用品などが収蔵されており、日本近代文学の貴重な歴史に触れる事ができる名所です。

稲村ヶ崎 新田義貞徒渉伝説地

サーフィンスポットとして、江ノ島や富士山を臨む景勝地として有名な稲村ヶ崎。ここはかつて新田義貞率いる倒幕軍が鎌倉攻め(元弘の乱)において、突破口を開いた場所としても有名です。新田義貞が海へ剣を投じると引き潮が起こり、岬経由で攻め込んだ新田軍に対して幕府軍総崩れになったと言います。

映画「稲村ジェーン」の舞台 稲村ヶ崎

1990年に公開され若者を中心に話題となった映画「稲村ジェーン」。映画の挿入歌「忘れられたBig Wave」も話題になりました。この映画は桑田佳祐さんの初監督作品であり、1960年代頃の鎌倉、稲村ヶ崎を舞台とした映画です。現在の稲村ヶ崎も多くの人々がサーフィンを楽しむスポットとなっています。

旧 鎌倉御用邸門(現 御成小学校)

御用邸と言えば葉山が有名ですが、かつては鎌倉にも御用邸がありました。もともとは1899年に建てられ、1931年に御用邸が廃止された後に小学校へと姿を変えました。現在は残された御用邸門(現在は小学校の正門)だけが当時の雰囲気を今に伝えています。

和賀江島(わかえじま)

鎌倉時代に造られた国内最古の築港遺跡で国の史跡にも指定される和賀江島です。鎌倉時代には材木や石材などを荷揚げする港として使われていたと伝えられます。この付近の海は遠浅となっているため、干潮時の際には和賀江島付近まで歩いて訪れる事もできるようになっています。

源氏山公園の源頼朝像

かつて源義家が後三年の役に際して、山頂に白旗を掲げて戦勝を祈願したと言い伝えられる源氏山。それから長い時間を経て現在は市民の憩いの場となっています。源頼朝像は銭洗弁天を超えて、約7分ほど山を登った高台に位置します。

日蓮上人辻説法跡

日蓮上人は現在の安国論寺のある松葉が谷周辺に草庵を構え、日々小町大路のこの周辺にて辻説法を行ったと伝えられます。JR鎌倉駅からほど近い場所に位置するこの場所は、日蓮の法華経が広がるきっかけになった場所とも言え、鎌倉時代の歴史の足跡を伝えるスポットの1つとなっています。

若宮大路幕府跡(わかみやおおじばくふあと)

源頼朝が政治を司った大倉御所、そして3代執権の北条泰時の時代に御所は宇津宮辻子へと移転、さらにその後1236年に再びこの場所へと御所は移されました。この若宮大路幕府での政治は、鎌倉幕府が滅亡するまで続いたため、歴代の中で最も長く政庁の置かれた場所です。

宇津宮辻子幕府跡(うつのみやずしばくふあと)

鎌倉駅前から近い鶴岡八幡宮の二ノ鳥居、そして本殿へと続く段葛(だんかずら)。宇津宮辻子幕府跡は二ノ鳥居からすぐ、鎌倉彫会館の裏の路地の中にひっそりと佇みます。鎌倉幕府の三代執権、北条泰時が大倉御所からここへ御所を移したと伝えられています。

大蔵幕府跡(おおくらばくふあと)

鎌倉に入った源頼朝は鶴岡八幡宮の東、雪ノ下の地に御所を建てて幕府を開き、政治を司ったと伝えられます。現在周辺は住宅街となっており大倉幕府跡を示す石碑が立つ場所は小学校となっています。石碑からすぐ近くに位置する大倉山には源頼朝公の眠る墓があります。

大佛茶廊(おさらぎさろう:旧 大佛次郎邸宅跡)

「鞍馬天狗」「天皇の世紀」「赤穂浪士」「大仏炎上」などの作品で知られる作家、大佛次郎(おさらぎじろう)の邸宅跡。鎌倉をこよなく愛した作家で、鎌倉の景観保護に尽力した方でもあります。大正8年に建てられた茅葺き屋根のこの邸宅は、家具・インテリアを手がける「IDEE」さんの協力で修復されたそう。

源頼朝公の墓

鎌倉幕府が最初に御所(大倉幕府)を構えたとされる場所の背後、大倉山という比較的小さな山の中腹に、鎌倉幕府の開祖である源頼朝公が眠ると伝えられる墓があります。1199年、相模川で催された橋供養からの帰り、落馬した事が原因で亡くなったとも伝えられますが、原因は定かではありません。

鶴岡八幡宮へと続く段葛(だんかずら)

鎌倉駅からほど近い鶴岡八幡宮の二ノ鳥居。この二ノ鳥居から鶴岡八幡宮の境内へと続く、若宮大路沿いの一段高くなっている参道が段葛(だんかずら)です。かつて鶴岡八幡宮から由比ヶ浜に至るまで続いていたと言われるこの参道は、源頼朝が妻・政子の安産を祈願して整備したと伝えられます。

鎌倉大仏(高徳院)

長谷にある浄土宗寺院の高徳院(こうとくいん)。本尊である大仏は通称鎌倉大仏とも呼ばれますが、正式な名称は阿弥陀如来像(国宝)。青銅で作られた大仏は台座を含めた高さで13.35m、重さは121トンにもなります。大仏の開眼年は1243年と伝えられる、鎌倉時代を代表する歴史遺産の1つとなっています。

鶴岡八幡宮の大銀杏

鎌倉を代表する観光名所であり、源氏の氏神としても知られる鶴岡八幡宮。この境内の中にある御神木の大銀杏(おおいちょう)は、樹齢800年とも1000年余とも言われています。鎌倉時代、源頼家の子である公暁がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、源実朝を殺害したという伝説もあります。

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